日本
たき火禁止で歌われなくなった「たきび」
〽かきねの かきねの まがりかど たきびだ たきびだ……子ども向けの童謡として作られたからか、最初から最後までひらがなだらけだ。それにしてもなぜ、出だしに「かきねの」を重ねるのだろうか。
この歌が生まれた現場に行って納得した。
東京・西武新宿線の新井薬師前駅から歩いて5分ほど行くと閑静な住宅街だ。一角に竹垣が長く続いている。明治時代に作られた竹垣だが、頑丈なため今も使われている。しばらく歩いて直角に曲がると、また目の前に長い垣根が連なる。なるほど、「かきねの」を2度言いたくなるわけだ。
やがて竹垣が途切れて門の向こうに大きな古民家が見えた。鈴木清兵衛の屋号を代々持つ旧家だ。樹齢300年を超す欅の大木がいくつもあり、欅屋敷と呼ばれる。庭の中の稲荷神社の前の地面が直径2メートルほど黒くなっている。ここで落ち葉をたくのが習慣だった。
3年前までは毎年12月の第1日曜に近所の子どもたち60人を募集し、焼き芋会をしていた。「一度に100個くらいの焼き芋を焼いていました。でも、落ち葉を集めるのが大変で」と家人は言う。
門のわきに「『たきび』のうた発祥の地」の立札が立つ。2014年に中野区教育委員会が立てた。作詞した巽聖歌(たつみ・せいか)が、昭和の初めから約13年間この近くに借家し、散歩の途中に鈴木家のたき火を見て「たきび」の歌の詩情をわかせた、と書いてある。当時、垣根の前の道は牛馬が通る農道だった。
巽は本名・野村七蔵。岩手県に生まれた。生家は鍛冶屋だ。尋常小学校を卒業した後は家業の鍛冶屋を手伝った。そのかたわら仲間といっしょに童謡の雑誌を手作りした。一世を風靡した雑誌『赤い鳥』に影響されたのだ。
20歳で洗礼を受け、クリスチャンとなった。ペンネームの聖歌は、そこから来たものだ。巽は讃美歌も作っている。
巽が「たきび」を作詞したのは1941年だ。NHKラジオで12月9日から3日間放送されるはずだった。ところが8日に戦争が始まり、放送は途中で中止となった。戦時下、「落ち葉は風呂を沸かすのに使える。空襲の目標にもなる」と軍から難くせをつけられ、歌は禁止された。
戦後もGHQは「たき火は暴動を誘発する恐れがある」と言い、消防庁は「街角のたき火は危険」と言う。2001年の廃棄物処理法で「野焼き」が禁止となり、たき火そのものが街から消えた。だから今の子どもたちが歌おうにも、イメージしづらい。つくづく不運な歌である。
たきび
作詞:巽聖歌
作曲:渡辺茂
かきねの かきねの まがりかど
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
きたかぜぴいぷう ふいている
さざんか さざんか さいたみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
しもやけ おててが もうかゆい
こがらし こがらし さむいみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
そうだん しながら あるいてく