いまこそ行動し、良心を示そう!!
伊藤千尋
これまで、なぜ自民党政治が変わらなかったのか?
① まず、有権者が自民党の政治に慣れてしまっていることが大きい。1955年に政界の「55年体制」が確立してから、自民党と社会党の2大政党の時代が長く続きました。こうして保守系の人々が自民党を支持する基盤ができました。ここで言う保守系とは政治的な右派ではなく、「不満はあるけれど、世の中を積極的に変えたいとまでは思わない」と考える人々のことです。
② さらに革新系の中で、社会党に不満を持つ人々が別の政党を作って支持が分かれました。それ以前から左派には共産党がありました。もともと自民党対社会党の国会の議席数は2対1だったのですが、革新系は分裂によってさらに力が弱まりました。
一方で自民党は党内に様々な派閥があるだけで、分裂はしなかった。このため相対的に自民党の力がいっそう大きくなったのです。実際に自民党の支持層の数がそれほど増えたのではありません。選挙は相対的に得票が多い方が勝ちますから、革新の票が割れた分、自民党が得票する割合が増えました。
③ この間、自民党は中央の権力を握っただけでなく、地方に基盤を築きました。自民党に近ければ実生活で様々な利益が受けられる利益誘導の仕組みです。経済的な利益を求める商工会議所は選挙のたびに自民党を応援し、若手の経営者による青年会議所が選挙のさい自民党の実働部隊になりました。医師会や農協など全国組織も日ごろから自民党のポスターを貼りました。
それが家庭内にも及びます。選挙のたびに主婦が動員され、戦時中の国防婦人会さながら割烹着姿で選挙事務所に手伝いに集まりました。自発的に集まるのではなく、顔を出さないとご近所で孤立するからです。昨今の学校のいじめの構造とよく似ています。仲間はずれにされたくないのです。
④ 一方で、社会党や他の革新政党の基盤だった労働組合が、自民党政治によってつぶされました。アカ攻撃によって日教組が弱体化し、教師の締め付けが増して教育界の管理が進みました。国労はJR化で、全逓は郵政の民営化で、つまり新自由主義に伴う民営化によって、労働組合の活動が封じられました。
さらに労働組合の元締めだった総評が連合に組織替えしたさい、旧民社党の系列だった大企業の労組が中心を占めました。「闘う労組」でなく、企業のおこぼれをもらおうという方針です。電力会社の社員の高い給料を保証するために、原発を復活させようという論理をもたらします。
草の根の支持基盤と「脚」を失った社会党は、社民党と衣替えして極端に弱体化しました。「頭」だけで地に根を張って活動する人々がいなければ、組織は衰えるのです。今の立憲民主党も「頭」はあっても市民レベルの「脚」の活動がなく、それが支持が伸びない理由の一つになっています。
⑤ さらに1996年の総選挙から、選挙の方式が中選挙区制から小選挙区制に変わりました。少数政党は、これまでなら議席をとれた票を獲得しても、議席ゼロに。多数政党が有利になる構造です。民営化と同じようにアメリカの真似をしたのですが、欧州の民主主義国の多くは、このような不平等な制度は採用していません。
このような、まるで氷河期のような絶望的な状況が、21世紀に入って変わって来ました。
絶望的な状況に変化の兆しが見えてきた
⑥ とはいえ長引く自民党の天下で、有権者はただ黙っていたのではありません。21世紀に入ると、日本の政治に大きな転換が起きました。きっかけは1998年、保守中道と中道左派の合同による民主党の誕生です。
2009年には民主党を中心に社民、国民新の3党連立による鳩山内閣が発足しました。総選挙で野党第1党が単独で過半数を得て政権交代したのは、戦後これが初めてです。リクルート事件などで露呈した自民党の金権体質、さらに小泉政権による極端な民営化で社会の格差が広がり、不公平、不平等感が人々の不満を爆発させました。国民は自民党を見放したのです。
⑦ ここで政治的発想の国民的な転換が起きました。民主党が掲げた理念は「市民が主役」です。それまで市民は「政治のことなど自分はわからないから政治家にすべて任せる」とか「国民が選んだ議員が国会で決めたことには黙って従うのが民主主義だ」などと考えていました。つまり「お任せ民主主義」だったのです。
この政権交代を機に、国民の考えは「参加型民主主義」に転換していきます。議員を選んだらそれで終わりというのでなく、議員の仕事をきちんと見て、おかしいときはおかしいと言うのです。有権者が政治家に注文をつけるのです。有権者はけっしてだれかに言われるまま動く羊のような存在ではない、という主権意識が広がったのです。
⑧ ところが、せっかく生まれた民主党は官僚を敬遠しすぎて政策が空回りし、東日本大震災と原発政策のさいは右往左往しました。最後の野田首相は独断で消費税の増税を打ち出し、党は機能不全に陥って分裂します。これなら汚くても安定していた自民党の方がまだ良かったと国民は判断し、民主党政権は3年3カ月で幕を閉じました。
期待が大きかっただけに、失望も大きかった。でも、政権交代が実現することを示した意義は大きいものがあります。
⑨ 相手の自滅により自民党は息を吹き返しました。出てきたのが安倍政権です。安倍首相は党内も国政も、独裁化を強めました。選挙の候補者は地元でなく党中央で決め、党内の反対者を排除しました。国政では様々な手を使って憲法を改悪しようとしましたが、何をしても国民はついてこない。そのため勝手に解釈改憲し、憲法をなし崩し的に壊すことに専念したのです。
しかし、強権的な手法に国民は疑問を抱きました。モリカケや桜の問題に見られた身内の優遇、立憲主義を踏みにじる強権姿勢を見た国民から批判が噴出しました。腹に一物あった安倍首相は腹痛を起こし、退陣します。後を継いだ菅政権は安倍氏の幻の影を慕うばかりで消えゆくはかない存在。そのあと登場したのは、地下鉄で目の前に座っていても気づかないような岸田氏。特技が「聞き上手」って、聞くだけで何も行動しないということでしょう。
⑩ こうした流れの上に行われるのが今回の選挙です。これまでの経過を見るだけで、どうしたら政治を変えることができるのか、のヒントがたくさんあります。「なかなか自民党政治が変わらないのは何故か」を探ると「どうしたら自民党政治を変えられるのか」が見えます。
具体的にどうすればいいのでしょうか? 次に海外の市民の動きも含めて、そこを探りましょう。
こうすれば自民党政治を変えられる
⑪ まず政党はどう対応すべきでしょうか。すでに前例があります。民主党のもとに政権を奪取した2009年の教訓は、野党側の結束でした。保守内のリベラル派から中道、革新も巻き込んだ幅広い共闘でした。今回の選挙では共産党まで入って翼が大きく広がっています。
⑫ そのさい気を付ける注意点があります。党中央の「談合」ですべてを決めてはなりません。地元の意志こそ第一に尊重されるべきです。今回、山本太郎氏の東京8区出馬表明は明らかな失敗例です。立憲・れいわの両党幹部が陰で動き、立憲の地元の候補者の頭越しに山本氏が早々と出馬を発表して反発を買いました。
これは出発点からして「密室政治」でした。党中央が上から候補者を押し付けるなら、自民党の安倍政治と同じです。民主主義、立憲主義を標榜するのなら、あくまで下からの議論の積み上げを基本とすべきです。わけても東京8区は6年も地元で活動してきた吉田はるみさんがおり、立憲と共産で吉田さんに一本化する調整が進んでいました。今回の選挙だけがすべてではありません。不信を残すなら将来への禍根となるでしょう。幸い山本氏の撤回で難を免れましたが、これを教訓とすべきです。
⑬ 野党共闘は地道に経験を積み上げてきました。今回の共闘の原点は2015年に安保関連法に反対した市民の力です。10万人を超す市民が国会を包囲し、野党党首も集まりました。ここから市民の連帯によって市民が野党共闘をリードしようという考えが生まれます。その年末に発足したのが、安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合、通称「市民連合」です。
2016年の参院選挙では一人選挙区全てで野党統一候補を擁立し、11の一人区で勝利しました。その後も市民連合が仲を取り持つ形で野党共闘が組まれました。2017年に小池都知事が「希望の党」を結成して野党共闘が乱れたさい、「市民と野党の共闘」の願いを受け継いで枝野氏が立憲を結党し、衆院選で希望の党を上回り、野党第一党となりました。市民の力が野党を押し上げたのです。その動きが今や全国規模に広がりました。日本の市民の力は、ここまで大きく育ったのです。それは自信を持っていい。
⑭ では、候補者や陣営は、どう動けばいいのでしょうか。これも先例があります。民主党が政権を握ったさい、自民党から鞍替えした小沢一郎氏は候補者に対し、駅前に立って演説するだけでなく、目立たない辻にも立ち、どんな小さな団体でも回るようハッパをかけました。自民党流のドブ板戦術です。それが功を奏して「小沢チルドレン」と呼ばれる大量の新人議員が誕生しました。足で稼ぐということです。
しかし、候補者一人の動きには限りがあります。市民の候補ですから、候補者だけに任せるのではなく、市民自身も候補者のつもりになって動くことです。アメリカの選挙では、支援者が自発的に地区割をしてこまめに宣伝活動をしています。平和憲法を活用するコスタリカでは、子どもも自発的にボランティアとなって支持する陣営の選挙運動に参加しています。
もちろん選挙制度が違うし、下手に動けば選挙違反になりかねません。そこは候補者の陣営がマニュアルを作って徹底すればいい。「何かをしたいが、何をしていいかわからない」という市民に、前面に出てもらいましょう。市民連合の中核にいる人々も、元は政治の素人でした。活動しているうちにコツがわかってくるのです。
⑮ 街頭演説のやり方も変えるべきです。今のようにくそ真面目な顔をして書かれた文章を読み、政府批判をがなり立てるのは時代遅れです。紙はナシ、自分の言葉で、目の前にいる人の目を見て、政府批判よりも、「このような日本にしよう」という未来像を話すことです。わかりやすい見本が山本太郎氏です。建前でなく本音を語れば、怒りと熱気が聴衆に共有されます。
若者に訴えるにはどうしたらいいか、とよく言われます。つい最近まで高校生の政治活動が政府通達で禁じられ、大学の自治が失われていました。昔と違って若者同士が連携する場も習慣も失われたのです。それでもSEALDsなどが独自に動きました。彼らの情報の場はネットです。ならば各陣営でネットで発信しましょう。最初は数人の若者を巻き込めばいいだけです。アメリカの「ウォール街占拠事件」や韓国の100万人規模の朴槿恵政権打倒の運動も、ネットによってあっという間に広まりました。若者を巻き込むという発想ではなく、若者を主体とした市民運動を創りあげようと考えた方がいい。だって、将来の日本は彼らのものなのですから。
⑯ 選挙の主体は候補者ではありません。有権者、すなわち私たち市民です。この社会をよくしたい、子どもたちに今より良い環境を残したいと思うなら、そう考えた人々が自ら街頭に出て集会に参加し、社会の意識を変える一員になることです。
そのためには、自分自身が今の状況をきちんと知る「賢い市民」「行動する市民」になることです。すぐにできます。今や「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」をはじめ、原発や気候変動、憲法、人権など、さまざまな分野で多くの市民団体が生まれました。身近にこれらの団体の関係者がいれば、そこに加わればいい。いなければ自分で立ち上げればいいのです。
⑰ 韓国で生涯に6度、殺されかけた政治家がいました。最後は大統領になった金大中氏です。軍事政権によって死刑判決を受け、拉致されて海に沈められる寸前でした。彼の遺言は「行動する良心たれ」です。良心を持っていると本心から言いたいなら、黙っているのでなく行動で示せということです。
彼は、こうも言いました。「行動しない良心は悪の側にいる」。愚痴だけ言って何もしない人は、結局は今の体制を支えることになるのだ、と。今こそ、身をもって良心を示そうではありませんか。