日本
生き別れとなった母を慕う「赤とんぼ」
幼稚園から帰宅した5歳の少年の眼に入ったのは板で釘づけされた玄関だ。父母は離婚し、母は少年に別れの言葉をかけることも許されず実家に戻された。少年は毎日、裏山に上って遠い母の実家に通じる道を見つめた。
兵庫県龍野町に生まれた詩人三木露風。私は現在のたつの市に行き、彼の実家から裏山に登ってみた。大人の足でも20分かかる。5歳の少年は、母に会えるかもしれないと思いながら山を上り、下るときは泣いていたのだろう。
露風が16歳のとき出した詩歌集『夏姫』に「母と添い寝の夢や夢」という文句がある。その夢が実現したのは72歳のときだ。母の死を聞いて再婚先の遺族に「亡きがらのわきで一晩添い寝させてほしい」と頼んだ。せめて骨になる前に添い寝したかったのだ。
31歳のとき北海道函館市のトラピスト修道院に住み込み、文学講師となった。敷地内に小さな家が残り、今も赤とんぼが飛ぶ。
講義のあと午後4時ころ、窓の外で赤とんぼが竿の先に止まっていたのを見た。幼い自分を思い出して作ったのがこの歌詞だ。4番の「夕焼小焼の赤とんぼ とまっているよ 竿の先」は、12歳のときに作った俳句そのままだ。
赤とんぼは、日本を代表する昆虫と言っていい。竿の先に止まるのは、トンボ科アカネ属アキアカネの特徴だ。蝶など多くの昆虫が外来種だが、アキアカネは日本の固有種である。
ヤゴが脱皮すると夏の暑さを避けて山に上る。秋に真っ赤に色づくと里に下り、田んぼで産卵する。実りの時期に舞う赤とんぼは豊作の象徴となった。真っ直ぐに飛ぶ姿が武士に好かれ家紋にもなった。
外国ではトンボは嫌われ、欧州では「悪魔の使い」とさえ呼ばれる。英語では「ドラゴン・フライ」(飛び竜)だ。たしかに間近で複眼を見るとそんな気がする。
1956年、米軍基地の拡張に反対した東京・立川の砂川闘争で、警官隊に立ち向かった農民と学生が声を合わせたのがこの歌だ。当時の全学連の現場指揮者は「獰猛な相手を人間的な気持ちにさせようとした。日没までの30分間、繰り返し歌った。警官隊は突撃してこなかった」と語る。
当時の新聞を見た。数日後、現場にいた警官の一人が自死している。自分の行動を恥じたのだ。警官も純粋だった。この歌は人の心を浄化する力を持っている。
赤とんぼ
作詞:三木露風
作曲:山田耕筰
夕焼小焼の 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
山の畑の 桑の実を
小籠(こかご)に摘んだは まぼろしか
十五で姐や(ねえや)は 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた
夕焼小焼の 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先