日本
海流に乗って異国の情緒をもたらす「椰子の実」
約1キロにわたって湾曲する砂浜を、日々見つめる人たちがいる。愛知県田原市、渥美半島の先の恋路ヶ浜。市民80人が5月と6月に沖縄の石垣島に行き、計170個の椰子の実を海に流した。そろそろたどりつくころだ。
田原市の渥美半島観光ビューローが「やしの実投流」を開始して、今年で記念の30回になる。椰子の実に「波にのせ想いは遥か恋路ヶ浜」と刻んだプレートをつけ、船から約百個を海に投げ入れる。昭和63(1988)年から毎年行い、これまで4個の椰子の実がここに流れ着いた。
半島の突端は伊良湖岬だ。『遠野物語』で名高い民俗学者の柳田国男は東大生だった明治31(1898)年、療養のため夏の2カ月をここで過ごした。風が強い日の翌日、海辺に椰子の実が流れ着いているのを3度見た。白い果肉がついたままのものもある。
「遥かな波路を越えて、まだ新しい姿でこんな浜辺まで、渡って来て居ることが私には大きな驚きであった」と著書『海上の道』に書いた。南方の文化が海流に乗って日本列島に渡来したと考えるきっかけになったのがこの椰子の実だ。
柳田の口から直にこの話を聞いた島崎藤村はロマンを感じて2年後、詩にした。藤村の詩に作曲家の大中寅二が曲をつけて昭和11(1936)年にできあがったのがこの歌だ。
きっかけはNHKの企画だ。有名詩人の詩に曲をつけて国民歌謡をつくろうとした。恋路ヶ浜には音符を彫った歌碑がある。
もっと南の九州には椰子の実が多く流れつく。漂着物学会の初代会長だった福岡県の石井忠さんは博多湾で、4年の間に285個の椰子の実を見つけた。
ココヤシは熱帯に自生する。日本に最も近い自生の北限は台湾南端のガランビ岬だという。ニッパヤシの北限は西表島だ。沖縄、台湾さらには東南アジアのフィリピンなどから黒潮に乗ってたどりついた。
「大洋の中に川あり」という。風や地球の自転などで生まれる海流が、まるで川のように決まった筋となって地球をめぐるのだ。
熱帯のカリブ海に面したコスタリカの海辺で、地元の住民が椰子の樹の実を竿でたたき落としていた。竿を借りてやってみたが、いくらたたいても落ちない。
道端で椰子の実を売っていた。殻を山刀で削って穴を開け、中の液をストローで吸う。冷えた液が喉を潤す。飲んだあとは椰子を割り、杏仁豆腐を固めたような果肉をスプーンで削いで食べる。味はほとんどしないが……。
椰子の実
作詞:島崎藤村
作曲:大中寅二
名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を離れて
汝(なれ)はそも波に幾月
旧(もと)の木は生(お)いや茂れる
枝はなお影をやなせる
我もまた渚を枕
孤身(ひとりみ)の浮寝の旅ぞ
実をとりて胸にあつれば
新たなり流離の憂
海の日の沈むを見れば
激(たぎ)り落つ異郷の涙
思いやる八重の汐々
いずれの日にか故国(くに)に帰らん