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コスタリカ

現地レポート2019❽ 超簡略版コスタリカ通史

2019.2.3

昼寝をやめて国立博物館へ

昨日の朝は、2回目のコスタリカ訪問団の一行が日本に帰るのを見送りました。その後は洗濯です。暑さのため体内の塩が噴き出たポロシャツなどをホテルの部屋の洗面所で洗いました。そのあと昼寝をしようと思ったのですが、せっかくコスタリカに来ているのに眠るなんてもったいない。そこで国立博物館をじっくり見学することにしました。
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「兵舎を博物館にしよう」というスローガンのもとに、軍司令部が国立博物館に生まれ変わった要塞造りの建物です。これまで10回近く訪れていますが、今回は3時間かけて全ての展示を克明に読み、メモしました。もはや現地の観光ガイドさんより詳しく案内できそう。

外の壁にプレートがはめ込んであり、そこには「武器は勝利をもたらすが、法律の実が自由をもたらす」と彫ってあります。軍隊を廃止する平和憲法をつくったさい、その象徴として当時のフィゲーレス大統領が要塞の壁をハンマーで壊し、そこにはめ込んだのがこの記念碑です。

紀元前

駆け足で展示を再現してみましょう。アジア大陸からアメリカ大陸に歩いてわたってきた人々がコスタリカに定住した紀元前1万年の遺跡があります。石器時代から陶器の時代になり、権力の象徴として3本脚の器がつくられました。これが中国の権力の象徴の鼎(かなえ)によく似ています。伝播したのか、同じアジア民族だから同じような発想をしたと考えるべきなのか……。

次は世界でコスタリカしかないと言われる大きな丸い石。運動会の玉ころがしで使う球が石になったようなものです。最大のものは直径2メートルを超します。だれが何のために作ったのか、いまだに謎です。僕の目には、高山の急斜面の川を岩が転がっているうちに自然に丸くなったとしか思えません。

侵略者との戦い

やがてコロンブスがやってきてスペインの支配が始まります。先住民に伝わる民俗行事「小悪魔の踊り」が展示されています。強力な牛(スペイン人)が小悪魔(先住民)を殺します。ほら貝の合図で先住民が蘇り、力を合わせて牛をたたき殺すという筋書きです。スペイン人による新大陸の征服と、先住民の反乱を表わしています。

次いで中米を征服しようとしたアメリカ人の侵略者ウイリアム・ウオーカーをコスタリカ人が結束して撃退した1856年の戦いの記録。日本ではペリーの黒船が来て3年後ですね。米国の圧力で門戸を開いた日本と、戦って彼らを追い払ったコスタリカ。奇しくも同じ時期です。

「コーヒーの国」のコーナーでは1820年に始まったコーヒー輸出の資料を示し、「コーヒー文化とともに農業資本主義がコスタリカの生活に入った」と書いてあります。その下には「資本主義とは何か」の説明も。「黄金の豆」と呼ばれたコーヒーが産業となりましたが、コスタリカでは大農園でなく中小農園が大半だったのが他の中南米諸国と違う点です。

リベラリズムと近代

次は「リベラリズムと近代化」です。鉄道の敷設とともに「秩序、発展、近代化」をスローガンに近代化が開始しました。教会の権威を追放し、カトリック教会が行っていた教育を国家による公教育に変えます。出生や婚姻の登録を教会から国家に移し、女性の法的独立性を認めました。ここで「リベラリズムとは何か」を解説しています。女性の社会進出が進み、教員組合が最初のフェミニズム団体として婦人参政権運動をして1949年の憲法で実現させました。

軍隊を廃止した1949年憲法のコーナーでは、その前の政府が共産主義者とカトリック教会と手を組んで社会福祉を進めたことを称えています。選挙の不正をめぐって5週間の戦闘が起き、500人以上が戦死しました。そこで勝ったフィゲーレス派が銀行や電力の国有化、女性とアフリカ系市民の参政権、選挙最高裁判所の設置を含む平和憲法を制定したのです。

そして現在

展示は現代に及び、ニカラグアからの移民の急増、LGBTで2015年に最高裁判所が同性婚を認める判決を出したこと、2014年にはアメリカ大陸で4位の豊かな国になったことを示しました。一方で、移民に失業者が多いことから2013年に失業率が過去最悪になったことや南米から米国に麻薬を運ぶマフィア組織が入って治安が悪くなったことまで挙げて「今や家にフェンスを設け、カギをかけなくてはならなくなった」と書いています。
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