コスタリカ
[8]なぜ特異な平和国家が生まれたのか?
2015.11.6
なぜコスタリカのような特異な平和国家ができたのでしょうか。それも貧困と抑圧と戦乱で明け暮れた中南米の地に。
資源がない国の助け合い精神
理由の一つは、この国に資源がなかったことです。それゆえに人間が資源となりました。
コロンブスに続いてやって来たスペイン人たちはこの地域を「Costa(海岸)Rica(豊かな)」と名づけましたが、火山と密林の土地でした。人々はまずジャングルを切り拓くことから始めました。つまり開拓者です。協力しなければ生きていけません。協同組合が発達しました。
日本で言えば明治時代の北海道の開拓のようなものです。そういえばコスタリカの人口と面積は北海道とほぼ同じです。ここから助け合う精神、平等を尊び、常に社会を考える国民性が根付きました。
他の中米の国ではスペイン人が大地主となって先住民を働かせましたが、コスタリカではもともと先住民が少なく、スペイン人自身が働かなくてはならなかったのです。自分だけ儲けようと一攫千金を狙った人は他の国に去り、コツコツと働く人たちが残りました。
すぐれた政治家と圧力に屈しない国民
日本が江戸時代末期だったとき、コスタリカは中米連邦という国の一つの州でした。当時の政治家は議会で「コスタリカ州が平和による幸福と結束による強さをそなえ、子どもたちにとって日々刈り取る稲穂が多くなり、流す涙が少なくなるよう望む」と話したと伝えられます。豊かさの基準が子どもで、泣かなくてすむ国こそ理想だと考えたのです。
その後は独裁者が登場しますが、独裁者なのに清廉潔白で、フランス文化を取り入れ、コーヒーの生産で国を豊かにしようと考えました。そこにたまたま英国の貿易船がやってきて、コーヒーの輸出が始まります。ちょうどクリスマスでした。誠実な人々への天のプレゼントのようですね。
1848年に正式に共和国として独立宣言をしますが、初代大統領が最初にした仕事は女子高校の創設でした。「無関心、無教育、無知こそ悪の根源だ」と教育に力を入れ、出版の自由を進めました。日本より早く1871年の憲法で義務教育を定め、1877年には死刑を廃止しました。社会保障が充実し医療費も教育費も無料で人権に気づかう社会は、早くもここから出発しています。
この間、1856年にアメリカ人の武装集団がコスタリカを侵略しました。国民は結束して戦い、撃退しました。今でも侵略されると大統領の呼びかけで国民が義勇兵となり、侵略者と戦うことにしています。このとき勝って人気を得た大統領が増長して懐を肥やすと、国民は反発して彼を追放しました。
1882(明治15)年からは独裁はなく、自由主義が続きます。20世紀になって大統領選挙の不正をめぐって2カ月の内戦が起きましたが、終わると「軍隊があるから暴力をふるったのだ」と反省して軍隊をなくし、軍事費をそっくり教育費にしました。選挙の不正をなくすために選挙最高裁判所という「第4権力」を考えだしました。
こうした歴史を見ると、国民が堅実なことと、政治家が優れていることが目につきます。日本の政治家とはだいぶ違いますね。しかし、日本人の資質が政治に不向きなのではありません。日本の政治家にも優れた人がいたことを知ってほしい。
日本の政治家にも立派な人はいた
明治5年に起きたマリア・ルス号事件をご存知でしょうか。
台風で横浜港に避難していた南米ペルーの軍艦から、2人の中国人が海に飛び込んで助けを求めました。この軍艦は中国人200人余りを奴隷にしようと強制的に連れて行くところでした。当時の日本は国際的にデビューして間もない「弱小国」でした。ペルーの方が大国だったので、彼らをペルーに引き渡そうと考えた人もいました。
しかし、外務卿(外務大臣)の副島種臣は国際法にのっとって人権と国家主権をたてに、船から中国人全員を救助しました。現場で指揮を執った神奈川県権令(副知事)は、部落解放など人権活動で名高い大江卓です。彼が裁判長となって裁判し、奴隷扱いは人道に反するとして全員を解放しました。
この事件で日本は世界に認められたのです。ペルーも日本を見直し、中南米の国で初めて日本と国交を結びました。国際的に通用する社会正義を主張すれば、弱小国も勝つのです。主権を掲げ正義を主張することこそ、今も昔も外交の要諦です。
今、主権を放棄して超大国にすり寄る、姑息でふがいない政府があります。それは国をおとしめ、国民をはずかしめる行為です。
「社会を破壊するのは無知と欲」
コスタリカの政治家にも、もちろんひどい人はいます。汚職が続いて伝統的な2大政党が支持されなくなり、市民行動党という中道左派の新党が政権をとりました。
国連平和大学を創立したカラソ元大統領は、大統領の任期が終わると一人の市民としてこの国を環境国家にしようと奮闘した人です。自然の中でエコツアーの客を受け入れるロッジをつくりました。雨の中、僕の荷物を持ってくれた白髪のおじいさんです。
彼は言いました。「自然を破壊するのは無知と欲だ」と。
社会を破壊するのも無知と欲です。
欲をなくすことは難しいでしょうが、無知をなくすことはできます。コスタリカの平和は、しっかりした教育の上に成り立っています。「自分の頭で考え、自分で行動する人間を育てる」のが、この国の教育の目標でした。思えば、コスタリカはそれを建国の最初からやってきたのです。これこそ、今日この平和国家を創造した最大の要素だと、僕は思います。
そう、平和の根幹は教育です。知は力です。政府が国民に無知を強いるなら、国民自身が知る努力をすればいい。そして、知ったことを行動に移してこそ、社会を変えることができるでしょう。