ジャーナリズム
『DAYS JAPAN』廃刊に思う
2019.1.20
『DAYS JAPAN』2月号が届きました。表紙はほとんど真っ白です。いつもの迫力ある写真に代わって「広河隆一『性暴力告発記事』を受けて 謝罪と私たちの決意」の黒々とした文字が、弔文のようにポツンと。「1枚の写真が国家を動かすこともある」「人々の意志が戦争を止める日が必ず来る」という、雑誌の存在意義を示す言葉も消えました。
一人のジャーナリストが精魂傾けて創刊し、15年にわたって奮闘してきた稀有な雑誌が、こんな形で終わるなんて……哀しい。
『週刊文春』の報道があったとき、これまでの週刊誌の在り方から、記事をそのまま鵜呑みにはできないと思いました。事実を認めた広河さんのコメントを読んで、あの広河さんが……と驚くとともに、その簡単すぎる内容に、本人には本人の言いたいことが別にあるのだろうと察しました。広河さんの主張を聞かない限り、いきなり広河さんを罪人扱いすることはできないと思いました。
2月号では、編集部として広河さんに聴取した途中経過が載っています。これを読んだうえで、現時点で思うことがあります。
僕自身、朝日新聞社の週刊誌『AERA』や月刊誌『論座』の編集部員だったので、雑誌についてはそれなりに知っています。雑誌は基本的に編集長の意向が大きく反映されます。ただ、『AERA』は副編集長が4人いたし、『論座』も2人いました。さらに部員にベテランもおり、編集長の一存では運営できなかった。編集会議で全員の討論の末に内容が決まり、編集長はその責任を引き受けるという体制でした。
『DAYS JAPAN』の場合は、広河さんと部員の経験の差がありすぎ、編集長の権限があまりに強すぎたと言えるでしょう。つまり独裁だった。2月号が「信頼できる中間管理職の不在」を指摘しており、その通りだと思います。それがパワハラを生み、セクハラに増幅した。
2月号では「社員が短期間に次々に辞めた」ことも指摘しています。これについては覚えがあります。『DAYS JAPAN』の編集部員が不足していると聞いたので、朝日新聞のバイトをしていた記者志望の女性を広河さんに推薦したことがあります。彼女は希望通り『DAYS JAPAN』の社員になったのですが、半年くらいで「辞めました」と僕に報告してきました。
理由はセクハラではありません。編集部の在り方について広河さんに率直に意見を述べたところ、編集部を辞めてくれと言われたということでした。もう10年近く前のことです。僕が推薦した人を辞めさせたからか、それ以来、『DAYS JAPAN』から僕に対する原稿の注文や催しの連絡も途絶えました。
組織においてはトップが独裁者になる危険を自戒すべきだし、トップにモノが言えるサブや相談役を置くなど、独裁を防ぐ制度、装置をつくらなくてはなりません。そうしなかったら組織はもちろん、トップ自身の破滅につながります。それはルーマニアなど東欧革命のさいに次々に倒れた東欧の独裁国家を取材した時に僕が現地で感じたことでした。そのまま『DAYS JAPAN』にも当てはまりそうです。
それでも、首をかしげることが多々、あります。こんなときのために労働組合という存在が世の中にはあり、社員が団結して経営者に物申す仕組みですが、『DAYS JAPAN』にはそれもなかったのでしょうか? また、『DAYS JAPAN』最終の3月号ではこれまでのようなフォトストーリーを掲載せず、全ページを今回の事件の報告にあてる誌面にするという現編集長の言葉が、2月号に載っています。これにも首をひねります。
フォトジャーナリズムあってこその『DAYS JAPAN』です。最終号なら、ジャーナリズムとしてこの15年に『DAYS JAPAN』が果たしたことを自己評価し、他者からの評価も掲載すべきでしょう。今回の事件の記述のみとするなら、『DAYS JAPAN』は広河氏の個人雑誌であったにすぎないと自認することになり、15年を広河氏とともに葬ることになりませんか? 広河氏の問題にかかわらず、世界には写真で訴えるべき事象がひしめいています。無視しないでほしい。
いま強く思います。広河氏個人を非難するあまり、「1枚の写真が国家を動かすこともある」「人々の意志が戦争を止める日が必ず来る」という、この雑誌の存在意義まで無にしてはならない、と。