ジャーナリズム
目にあまるジャーナリストの官僚化
2016.8.1
東京都知事選の日、奈良のホテルで朝食をとっていると、テレビで「北朝鮮のミサイルの脅威」を延々とやっていました。これって全国番組なのかな、わざわざ都知事選の日を狙ってこんな番組を流すってあからさまな小池さんへのエールだなと思いながら、見ていました。知事選が始まってから週刊誌の鳥越たたきのすさまじさ、反自民票をお涙ちょうだいで小池さんに誘うマスコミの巧みさを見て、「報道操作」という言葉を連想せずにはいられません。
今から半世紀近く前、僕はジャーナリズムの力を目の当たりにしました。アメリカと日本の政府が一体となって進めたベトナム戦争に対し、田英夫、本多勝一氏らがベトナムの現場に入って事実を報道しました。それによって政府のウソが暴かれ、ベトナム反戦運動に発展しました。報道によって事実を知った市民が運動を起こし、それが社会を変えて行った。それこそが正統な市民社会であり本来の政治だと思いました。地方の高校生の時、僕は政治家を目指していましたが、ここでジャーナリストこそ真の政治家だと気付きました。だから僕はジャーナリストを目指したのです。
ところが、今や週刊誌だけでなくテレビも大企業の具となり、新聞は力を失っています。ジャーナリズムが機能せず、ジャーナリストではなく、単なるマスコミ会社員がはびこっています。報道が戦前に戻ったのではありません。まだ戦前の報道の方が軍部の圧力にきちんと抵抗していました。今は自主規制、さらに提灯持ちの報道が幅をきかせています。とりわけ全国紙、全国ネットの堕落ぶりを感じます。
今日の朝日新聞の夕刊に当選した小池さんの紹介が載っています。後ろの方にちょっとだけ「言動タカ派」の小見出しで、彼女が憲法改正を主張する日本会議の国会議員懇談会の副会長だったことや海上自衛隊の海外派遣に積極的な姿勢だと書かれています。こんなことは選挙のさなかに書くべきでしょう。今回の選挙で小池さんが自民党から嫌われていると思って判官びいきのつもりで票を入れた人が多いようですが、そのほとんどは小池さんが右翼だってことを知らずに投票したのではありませんか。
こうなったのはマスコミのせいだと、マスコミにすべての責任を負わせる人も出そうです。でも、考えてほしい。「真の知性とは、政治家の言うことをうのみにせず、自分の頭で考え自分で行動する人だ」と南アフリカのマンデラ大統領は言いました。まさにそう行動したのがナチスの時代に反ヒトラーのビラをまいて死刑になったドイツの女子大学生ゾフィー・ショルです。ヒトラーの秘書だった女性が戦後、彼女の存在を知って、こう話しています。「あのときヒトラーが何者かを知ろうとすれば知ることができた。ゾフィーはそれをやった。私はしなかった。それが私の罪だ」と。
ドイツの平和教育は、被害者のアンネ・フランクとともに抵抗者ゾフィー・ショルの経験を伝えることです。ドイツは戦中の記憶をきちんと受け止めて、今の時代に活かしています。今の日本に欠けているものがここにあります。