ジャーナリズム
目にあまるジャーナリストの官僚化
2016.12.21
昨日はNHKのラジオの「先読み!夕方ニュース」という番組で午後6時過ぎから30分、キューバのカストロについて話しました。これまでTBSやフジテレビなどは出ましたが、これで全ての放送局で解説をしたことになります。
放送局に初めて出たのは朝日新聞の『AERA』時代の1988年です。南米コロンビアの「麻薬戦争」についてフジテレビの夜の生放送に15分出演しました。「べらべらしゃべりすぎですよ。キャスターが呆れた顔をしていました」と、『AERA』の女性記者があとで笑っていました。
1996年末のペルー人質事件のときはNHKを除く全局のテレビでペルーの歴史や南米のゲリラについて話しました、そのあとも中南米のさまざまな事件を解説してきました。朝日新聞の編集部の机から電話でベネズエラのチャベス大統領について20分、TBSに解説したこともあります。
僕はそもそも朝日新聞の社員という意識がほとんどありませんでした。一介のジャーナリストであり、たまたま朝日新聞に所属しているだけという意識です。当時から「本業ジャーナリスト、副業会社員」と公言していました。ジャーナリストなのだから新聞でも放送でも出版でもあらゆるメディアを使って知らせることが自分の仕事だと思っていましたし、今もそう思っています。
一方、同僚には会社への強い帰属意識があって、他社に顔を出すことを嫌う人が多いのです。自分をジャーナリストである前に会社員だと意識しています。取材して新聞に書いた以上の情報があれば『週刊金曜日』など他の媒体に書けばいいじゃないかと僕が言うと、「他社に書いてもいいのですか?」と驚いた顔をします。
だって、新聞に書けるだけ記事を出して、それ以上は載せてくれないのなら、その分は何らかの媒体を自分で見つけて世に出すのがジャーナリストだろうと僕は思うのですが、「会社のカネで取材したのですから、他社に出すわけにはいかない」と、まるで官僚のような返事をします。
お前、しっかりしろよ、会社員である前にジャーナリストなんだろうと怒鳴りたくなります。会社への義理立てを言う以上に、取材相手や社会に対しての責任を考えないのでしょうか。取材して明らかになった事実を伝えることはジャーナリストの義務です。会社に記事を書いたなら、会社への義務は果たしたはずです。あとはジャーナリストとしての義務を果たすべきです。
今の新聞が最近おかしいとあちこちで耳にしますが、新聞がおかしくなったのは最近ではありません。2000年代に入った小泉民営化の時期からです。当時の朝日新聞の社長は勤務評定を導入しました。記者が何時に出勤し30分ごとに何をしたかを1週間ごとに書類で提出せよというのです。バカか。
現場を回る記者は目の前の事件を取材し記事にするのに追われます。勤務状況を書き留める余裕などありません。1週間後にまとめて記入する時間がとれたとしても、あの日、自分が30分ごとに何をしたか覚えているわけがない。
さらに会社は、半年ごとに努力目標を掲げて半年後に部長が個人面談をして査定することにしました。記者は委縮し、上司の顔色をうかがうような内向きの記事を書くようになりました。これで朝日新聞がおかしくなったのです。
会社は忠誠心を強要し、本を出したら印税の大半を会社が吸いあげるようにしました。講演をするさいには上司に届け出て許可を得るようにと通達を出し、講演料を会社がピンハネしたのです。吸血鬼ですね。しかも、みみっちい。
昨夜のNHKのキャスターは「キューバについて知りたいのはもちろんだけど、一番聞きたいのは私たちがキューバに学ぶべきことです」と言ってくれました。僕はキューバ社会主義の失敗も指摘したけれど、「超大国に対して毅然と自立を貫いたこと、そしておおらかな楽観性と抵抗精神」を今の日本として学ぶこととして語りました。僕の直前に同じ番組で話したNHKの記者は、沖縄のオスプレイについてまっとうな意見を語っていました。
読売新聞が戦後間もない大争議のあと、まっとうな記者が政治部や社会部から追い出されて文化部に回され、そのために読売の文化部が活況を呈したことがあります。今のNHKはテレビのニュースはひどいですが、ラジオはまともですね。僕をNHKに登場させるに当たっては、新米のディレクターが奮闘してくれました。
NHKのあとフリージャーナリスト工藤律子さん宅にお邪魔しました。工藤さんが開高健ノンフィクション賞を受賞した祝いの飲み会です。親しい記者3人とともに工藤さん手作りのメキシコ料理をいただきつつ深夜まで歓談しました。そこでも話題になったのが新聞の堕落です。僕の先輩の記者は、先は闇だと嘆いています。
僕はキューバさながらのおおらかな楽観性と反骨精神で、これからも書き語り続けていくつもりです。