個人的な話
あるジャーナリスト志望の若者
2017.4.9
2年前にいっしょにピースボートに乗船した好青年、北海道のT君がFacebookのメッセージに「ちなみに明日、朝日新聞の試験を受けます」と書いて寄こしたのは2週間前の今日でした。彼が新聞記者を目指しているなんて知らなかったし、こんな早い時期に試験があるのかと驚きました。昔は夏でしたからね。
2日後には「通過しました。1日に東京で面接です」という書き込みがありました。面接の前夜、彼は飛行機で成田に着きました。氷雨の東京なのにワイシャツだけです。さすが寒さに慣れているのだと思ったら、東京の気温を知らなかっただけでした。大丈夫かな?
ピースボート・センターに行ったことがないというので、高田馬場に誘いました。乗船のさいのディレクターやCCの面々が歓迎してくれました。センターに近い飲み屋で彼が持参した履歴書を見てびっくりです。最初に僕の名前が書いてありました。
ピースボートでの出会いから云云かんぬん(ちなみに、デンデンと読まないように)。おいおい、朝日には俺の支持者もいるけれど、それ以上に敵も多いのだよ、俺の名前など書かないほうが良かった……と言ったのですが、後の祭り。僕の敵をも納得させるような主張の仕方を伝授しました。
1次面接の試験官は若手の記者2人です。翌日2日の夜、「通りました」と北海道から明るい声の電話が来て正直、ほっとしました。僕のせいで落ちたら申し訳ないですからね。彼はとんぼ返りで上京し5日に2次面接です。こんどはデスク・クラスの記者で、グループ・ディスカッションもあります。それも通ったという連絡が来ました。で、最後の3次、役員面接が7日です。また飛行機で上京です。面接は午後からだというので午前中、我が家に来てもらいました。
彼が言うに、2次面接では僕との関係を聞かれてピースボートでのことを細かく話し、試験の前に僕からアドバイスを受けたということまでしゃべったというのです。そんなことは黙っておけばいいのに……純真な若者です。たまたまピースボートや僕に好意的な記者が試験の担当官で良かった。彼よりも僕の方が冷や汗ものです。役員の心をつかむ「必殺の極意」をとくと伝授しました。
そして3次面接が終わったあと「無事、終わりました。結果は10日に連絡があるそうです」という書き込みです。ところが早くも8日の夜、これから北海道に帰ろうとする空港から電話がありました。「内定、もらいました!」。泣いているようです。ああ、良かった。ホッとして、10時間、眠りました。
その彼がこんどは11日にまた上京します。内定者の集まりがあるようです。ふと思い出したのは、僕自身が朝日新聞から内定をもらった1973年の夏です。「内定」という電話を受けたとたんに勤めが嫌になって、内定を蹴って「ジプシー探検旅行」に飛び出したのでした。T君、俺をこれだけ心配させたんだから、内定を蹴るんじゃないぞ。11日は彼のために乾杯したいと思います。
写真=2年前のピースボート船上の運動会。この中のどこかにT君もいるでしょう。