個人的な話
フリージャーナリスト3年目の事務所開き
2017.9.17
昨日の9月16日、僕の事務所開きをしました。
朝日新聞社を退職したのは2014年9月13日でした。その翌日、40年にわたる仕事を看取って安心したかのように母が亡くなり、その翌日、僕の65歳の誕生日が母の葬儀でした。その翌日、9月16日に念願のフリー・ジャーナリストとして新たに出発してちょうど3年になる昨日、事務所開きを行ったのです。
もっとも、ちゃんと計画してこの日になったのではありません。旧知の「週刊金曜日」の辣腕編集者から事務所開きをするようずっと勧められていたのですが、仕事が重なってなかなか開けずにいました。愛弟子の長崎の漫画家「さらんちゃん」こと西岡由香さんがわざわざこのために上京して来られるというので、たまたまこの日に設定したのです。いま、ふと考えるとちょうど3年目の節目だった……。
そもそも実際に事務所を開設したのは2014年11月でした。当時、それを知った広島の二見伸吾さんが、わざわざテープカットのためのテープとリボン一式を送ってくださったのでした。ようやく出番です。二見さん、3年近くも遅ればせながら使わせていただきました。ありがとうございました。
立ち会っていただいたのは言い出しっぺの辣腕編集者と西岡さん、そして僕がもう20回ほども乗船してきたピースボートの南米担当である松村真澄さん、さらに僕が共同代表をしている「コスタリカ平和の会」の事務局長の大山弁護士です。……というと、わざわざこの4人を選んだように聞こえますが、要は辣腕編集者が身近な人にパパっと声をかけたらこうなったのです。辣腕編集者と弁護士は、僕が「仲人」をしたご夫妻です。「なぜ私を呼ばないのか?」とお叱りの声が出そうですが、こういうわけなのでどうぞご容赦を。
事務所開きのあとは辣腕編集者ご夫妻が用意してくださった誕生日のケーキのロウソクを吹き消し、西岡さんが長崎から持ってきてくださった海の珍味をさかなに、松村さんが故郷の群馬県から抱えてこられた日本酒で乾杯しました。
事務所と言っても要するに書斎です。朝日新聞に置いていた本を自宅に引き取ることになったものの自宅に入りきれないため、やむなく自宅近くにマンションの1室を借りました。今も、その部屋で本に囲まれて執筆しています。う~ん、パソコンを打つのですから執筆と言えるかどうか。乱打していると言った方が合っているかもしれません。
事務所には図書館並みの本に加えて、人間の背丈もある南米パラグアイのハープ、中央アジアはカザフスタンの弦楽器ドンブラや長さ1メートルを超すベトナムの琴、赤と金色に彩られたミャンマーの竪琴など各地から持ち帰った民族楽器が置いてあります。台所の食器棚、トイレの壁、靴箱や廊下も本が占領しています。逆に冷蔵庫も食器もありません。あるのはコーヒーのための湯をわかすヤカンが一つだけ。
こんな環境で、今もせっせと執筆、いえ、乱打しています。