個人的な話
ブックカバー・チャレンジの7冊
2020.4.27~5.3
石川啄木『啄木全集』
ブックカバー・チャレンジ1日目
コロナも蹴飛ばす元気な歌姫、川口真由美さんから「ブックカバー・チャレンジ」が回ってきました。好きな本を1日1冊、表紙の画像を7日間投稿し、毎日1人のFB友達を招待する……。
はびこるコロナ菌には、つながる知性で対抗しようという企画です。巣ごもりを強いられる中、せめて精神は夢の世界を駆けたい、自分の知らない世界に飛び込んでみたい、という方にぴったりです。
僕がまず推すのは箱入りの『啄木全集』です。表紙は無地で無字なので、写真にすると何やらわからない。箱の写真を載せます。
今から37年前、中南米特派員として地球の反対側ブラジルに赴任するさい、送る荷物は段ボール6箱に制限されました。子ども3人の絵本や学用品、服など入れると、僕と妻のものは最小限になります。仕事上で必要な物のほか、持っていける本は限られました。そう、無人島に持っていく本を3冊選べ……と言われた気持ちです。
そこで選んだのが、啄木の歌集が載った「啄木全集 第1巻」と古典落語と平家物語でした。啄木の歌を味わい、落語で神経を集中しつつ、記事を書きました。
最初のバトンは、コロナにめげず街頭で市民運動を繰り広げる若き闘士、「嵐を呼ぶ少女」こと菱山南帆子さんへ。
フセワロード・オフチンニコフ『一枝の桜——日本人とはなにか』
ブックカバー・チャレンジ2日目
読売新聞社、1971年(中公文庫、2010年)
15年ほど前、桜と日本人のかかわりに興味を覚えました。桜と名のついた本を図書館で読みあさり、うち31冊は購入して手元にあります。今でも魅かれる異色な本が、これ。
書いたのは1960年代に旧ソ連からやってきた新聞社の特派員です。イデオロギー臭さがまったくなく、ジャーナリストの透徹した目が涼しい。キーンさんやベネディクトなどアメリカからの視点とは一風違う「日本人論」です。
彼が四国の漁村の旅館に泊まったとき、隣の部屋から聞こえたのが漁師のおかみさんたちのおしゃべりでした。眠れないじゃないかと思ったら突然、おかみさんたちは見事に声をそろえて、「〽夜霧のかなたへ 別れを告げ……」とロシア民謡の「ともしび」を歌った……。日本が激動した60年代、全国の隅々まで浸透した文化の高さがうかがえます。
霞が関の動向よりも四国の漁村を大切にした記者の視点も面白い。幸い2009年に中公文庫から改めて出版され、手が届くものとなりました。
次のバトンは「週刊金曜日」に4コマ漫画を連載している「さらんちゃん」こと、長崎の漫画家、西岡由香さんへ。
星野道夫『旅をする木』
ブックカバー・チャレンジ3日目
文春文庫、1993年
アラスカの動物、植物、自然を追ってシャッターを切り続けた星野道夫。彼の七回忌の夏、僕は北極海のシシュマレフ島に向かいました。彼が大学生の時に住み、写真家の出発点となった地です。19歳の星野を受け入れた先住民の家を訪れてトナカイの肉をごちそうになり、彼の思い出を聴きました。
星野の写真には子熊をいとおしく見つめる母熊の姿があります。近寄って撮ったとしか思えません。野生動物はふつう、人間が近寄ると威嚇するか、逃げるかのどちらかです。なぜ表情豊かな写真が撮れたのか。こんな話を聞きました。
野生動物の撮影のさい写真家は、教われた時に備えて銃を持ちます。動物が逃げるのは銃のせいです。それに気づいた星野は銃を持たないで熊に向かいました。ひたすらレンズを見ながら近寄ったら、10メートル先に熊がいた……。
星野本人から聞いた話ではないので、確かめることはできません。でも示唆に富みます。こちらが凶器を持てば相手も警戒し、永遠に歩み寄れない。勇気を奮い丸腰となって友好的な態度を示せば、相手もそれに応える。日本国憲法9条を目の当たりにするようではありませんか。
この本の最後はワスレナグサです。ご存知でした?アラスカの州花が勿忘草だって。北海道の道花は「野性的で生命力のある」ハマナスですが、より荒々しいアラスカのシンボルは「私を忘れないで…」という可憐な花なのです。
さて、チャレンジのバトンは元国連職員の安川順子さんへ。ハーバード大学を出てユニセフさらに国連人口基金アジア太平洋事務所長など務め、今はコスタリカに暮らす才媛です。コスタリカの人々を活写する彼女の
ブログ「コスタリカから日本へ 魔女の便り」もお薦めです。
三好徹『チェ・ゲバラ伝』
ブックカバー・チャレンジ4日目
文藝春秋、1971年
チェ・ゲバラ。革命家の彼を知らない人はいても、ファッションになった髭面を知らない人はいないでしょう。世界各地の反グローバリズムのデモには、この顔が掲げられます。亡くなって半世紀以上たつ今なお、強烈な存在感があります。
そういえば……と思って我が本棚を見ると、キューバ関係の本の半数近くがゲバラ関連でした。ゲバラの著書や伝記だけで48冊もあります。カストロの本は15冊で3分の1にもなりません。ハバナで買った『ゲバラ辞典』は600ページもあります。死ぬまでに読み切れませんね。それでも手に入れたのは……それだけの魅力があるからです。ひと口で言えば、ロマンです。
三好徹のゲバラ伝は、もはや古典的な価値があります。ゲバラの死から4年後、この本は世界で初めて書かれたゲバラの伝記である……と、三好氏は言います。
この本が執筆されていたころ、僕はキューバの農村で半年間、サトウキビを刈っていました。革命キューバの実像を見たくて、国際ボランティアに参加したのです。帰国したら、この本が書店に並んでいました。2014年に文春文庫で増補版が出ているので、こちらの方が簡単に入手できます。
さて、チャレンジの次のバトンは、中南米からスペイン、フィリピンまで広い範囲で活躍する女性ジャーナリスト、工藤律子さんに。最新作『ルポ つながりの経済を創る―スペイン発「もうひとつの世界」への道』が2月に出たばかりです。
ヨハン・ガルトゥング『日本人のための平和論』
ブックカバー・チャレンジ5日目
ダイヤモンド社、2017年
「平和学」を開拓し世界に広めたノルウェーのヨハン・ガルトゥング博士による「日本人向け平和の手引き」です。「平和は過去を反省するだけでは実現しない。未来をつくろうとする意思によって実現する」。そう、彼の提唱する「積極的平和」こそ、今後の日本社会のカギとなるでしょう。
同時に博士は辛辣な言葉を述べます。「憲法9条は崇高な理念を謳っているが、それゆえに躓きの石となり、安眠枕となっていた」と。とても共感します。9条という素晴らしいものを持ちながら、使ってこなかった。それどころか憲法施行の3年後、政府は旧軍を復活させました。市民の側も「護憲」が精いっぱいで、「活憲」の発想がなかった。
いえ、9条を体現した市民はいます。アフガンで亡くなられた中村医師、彼の周りに集まった人々がそうでした。彼の活動を国としてやったなら、日本はとっくに世界から尊敬されていたでしょう。逆の方向に向かったがゆえに、中村さんは命を失いました。
自宅に閉じこもり沈黙した生活が続けば、自粛が習い性となります。今すべきは、効果的な明日の活動に向けて知力、体力を磨くことです。
次のバトンはピースボートの講師仲間、写真家の豊田直巳さんへ。
ヘレーン・ハンフ『チャリング・クロス街84番地――書物を愛する人のための本』
ブックカバー・チャレンジ6日目
中公文庫、1984年
書店といえば、僕は古書店、いや古本屋さんが、大好きです。全国に講演で出張したときは、かならず地元の古本屋さんを探して訪ねます。海外に行ったとき、名所よりもまず訪ねるのが古色蒼然とした古本屋です。ところが最近、古本屋が次々に店を閉じています。文化の危機です。ようやく残っている店も今、コロナで閉店しています。悲しい。
イギリスのロンドンのこの番地にあったのが、絶版本を専門に扱う古本屋でした。そこに本好きなアメリカ人の女性が本を注文します。そのやり取りの手紙を綴った形で進むのがこの小説です。泣けますよ。
次のバトンタッチは、上司と闘っても福島の原発事故の被災者を追う朝日新聞の女性記者、青木美希さんへ。
ジョン・リード『世界をゆるがした十日間』
ブックカバー・チャレンジ7(最終日)
岩波文庫、1957年(その他に新訳などあり)
アメリカの記者ジョン・リードの不朽の名著です。若きジャーナリストが現場で見たロシア革命のルポ。「迫真」という言葉がぴったり当てはまります。題名に惹かれて僕が手に取ったのは、今から半世紀前の大学生時代でした。耳慣れないロシア人の名前や政治組織が出てきて「読む」には至らず、いまだにところどころパラパラ「見る」くらいです。でも、どこを読んでも臨場感があります。
僕がジャーナリストを目指したきっかけの大きな一つが、この本との出会いでした。ジャーナリストは歴史の現場に行って歴史の変わり目を体感できる。面白くてワクワクするじゃないか。しかも、それを伝える。つまり自分の書いたものが歴史になるし、人々の生き方や社会に影響を及ぼす。意義ある仕事だ。そう思ったのです。
中南米の特派員として赴任する前に読んだのは、彼の『反乱するメキシコ』(筑摩叢書)でした。冒頭の部分に「メキシコは、ロシアより四年前に『十日間』を経験した」とあります。当時のメキシコの様子が、今の日本よりもはるかに詳しく映像として目に浮かび、ルポの醍醐味を味わいました。特派員って要はこういうものを書けばいいんだ、と指針を示された思いでした。その中にこんな言葉が出てきます。「平和とは他人の権利を尊重することである」。
メキシコで1985年に大地震が起きたとき、「メキシコを揺るがした十日間」という長文のルポを朝日新聞に書きました。もちろん『世界を揺るがした十日間』のもじりです。
フランスのポール・ニザンは、海外特派員を「現在の歴史家」と定義しました。まさにそうだと思います。目の前の事象をただ記述するのでなく、人間の歴史の中での意味を常に考えて発信するのがジャーナリストの役割です。
ああ、そういえばニザンが書いた『アデン・アラビア』も紹介したかった。「ぼくは20歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどと、だれにも言わせまい」で始まる名著です。素晴らしい本の紹介に7日間なんて、とても足りませんね。
最後のバトンは、中国人の経済ジャーナリスト莫邦富さんへ。文化大革命で「下放」された青春時代に日本語を学び、訪日から35年。東京を拠点に日中関係や現代の中国について、示唆に富む発信を続けています。一風変わった視点の本が出されるでしょう。楽しみです。