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個人的な話

フリー・ジャーナリスト1年目の感慨

2015.9.13

40年間務めた朝日新聞社を退職して、今日でちょうどまる1年になります。もう会社勤めはしたくないと思って独立し、フリー・ジャーナリストとなりましたが、思うところがいくつかあります。

1.サラリーマンは楽でした。

会社に行ってそれなりの仕事をすれば給料が出るという、会社員としては当たり前のことがいかに大変なことなのか、独立して初めてわかりました。それ以上に、行くべき場所、やるべき仕事があるということ自体が精神的に大きいことも悟りました。独立すれば自分で仕事を開拓しなければなりません。つまり営業活動も自分でやるということです。まったく慣れてないだけに、ここが辛い点です。

会社時代から仕事が降ってくるのはまったく苦にならず、むしろ喜んでやってました。今は仕事がないことが苦です。「書く」ことだけに専念していればよかった時代が夢のような気がします。どうぞ、気軽に仕事を言ってきてください。まあ、自分でテーマをみつけてやればいいのですが、そのためのさまざまなお膳立ては楽じゃないですね。最初からフリーでやっている人を尊敬します

2.自由を満喫しています

とはいえ、独立して精神的にせいせいしています。朝起きて、珈琲豆を挽きながら、さあて今日は何をしようかな……と考えます。毎朝が新鮮です。晴耕雨読と言いますが、僕の場合は晴れていようが雨であろうが、原稿を書き講演するという日々です。昨年11月に自宅から歩いて3分のマンションを借りて書斎としました。一人籠って、日がなパソコンと向き合っています。疲れたら本棚の整理をし、飯時には妻と連絡していっしょに昼食をとる、実に落ち着いた生活です。

この夏はピースボートに40日間も乗って船と飛行機を乗り継いで世界一周しましたが、これもフリーだからできることです。記者時代から大学で教えていたので、記者をやめたあとは大学に勤めようかとも思ったのですが、そんなことをしてたら今の自由はありませんでした。

3.生き方に自信を持つ

かつての同僚や先輩たちがゴルフや旅行三昧の日々を過ごし、顔を合わせれば健康のことしか話さないのが不思議な気がします。あんたら、もう人生を投げてしまったのか、とあきれる気持ちがふつふつとわいてくるのです。他人の人生までとやかく言うつもりはありませんが、少なくともジャーナリストを志した人が、お金を貯めるだけ貯めて、定年になったらぷつんと仕事をやめるというのが、僕には理解できません。

僕は会社で何度も左遷され、新聞に記事を書けないときは給料を取材費として自分で海外に取材に行ってました。だから貯金もありません。そんなこともなく順調に昇進した人々は別荘を持ち、遊んで老後をすごしていますが、はっきり言います。あんたは単なるマスコミ企業の会社員であって、ジャーナリストを名乗るのはおこがましい、と。

実は今日も、講演に行く途中のJRの駅でそうした人と会ったのです。ひたすらメンツだけにこだわり、頭の内容はからっぽという気がしました。こういう人と接すると、僕は自分の生き方にあらためて自信を持ちます。

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